アス子です。
私はかつて美大を卒業したけれど
現在、その分野で全然稼げていませ〜ん(涙)
でも!!
これからじゃんじゃん稼ぎたい!!
稼ぎたいクリエイター日本代表 アス子です。
私は美大を卒業し
いろんな製作物の経験も積みました。
人に教える経験として教員も経験しました。
自分でデザインができるようになりたいと思って
イラレやフォトショも勉強して使えるようになり、
動画の撮影も編集もできるようになりました。
WEBデザインや動画の実務経験もあります。
クリエイターとしてのスキルは割とある方だと思います。
これだけの経験があれば
普通なら稼げていると思うのですが
どうやら私の生き方と人生が
ちょっと破天荒なようで…。
そのため現状全く稼げていません。
でも!
ここから大逆転をしていこうと思っていて
これから稼げるようになる予定なのです!!
そのために
踏み出す第一歩が
このブログなんです!!!!!
これまでの私の49年間の歴史を書くので
あなたにぜひ読んでもらいたいです♡
アス子、絵に描いたような普通の家庭に生まれるが‥
私は地方のどこにでもあるような
ごくごくふつ〜の家庭の長女として生まれました。
私の父は高卒で、地方公務員でした。
父は自分が高卒であること、それ故に職場の同世代の仲間たちより出世できない事から
学歴や社会的地位に対してとても強いコンプレックスを持っていました。
学歴に対するコンプレックスから、娘に過剰な期待をする父
そのコンプレックス故に
父は私に対してふつ〜の一般家庭には分不相応なくらい
学歴や将来への期待を寄せていました。
小学生の頃
私はそんな父に丸め込まれて
県内でもトップ3までの有名中学を目指す
塾の特進クラスに通い始めることになりました。
当時の私は、小学校での成績は普通に良い部類で
勉強に対してコンプレックスなど微塵もなく
むしろ学ぶことに対しては「積極的」な方だったのではないかと思います。
ですが、市内でも特に優秀な人たちばかりが集まっている塾の特進クラスでは
授業もテストも正直、ちんぷんかんぷん。
宿題は毎回鬼のように出されるし、
丸暗記しなければならない課題も山盛りでます。
子供のアス子は、課題に対して毎回行われる小テストでは、
隣の子の解答をこっそり盗み見て写したり、
カンニングペーパーを筆箱の中に用意していました。
アス子が勉強が嫌いになり始めた初期の頃のお話です。
そんな風に塾の特進クラスでさえ、
全くついていけていなかったにも関わらず、
今思えば本当に運よく(いや、運悪く!!)そのトップ3内の有名中学に合格してしまったのです…。
アス子、運悪く、超進学校に入学してしまう…
そこは中学、高校、六年間一貫教育の超進学校。
女子校でありながら、
クラスの3分の1の人が
医者を目指して医学部に進学するような学校です。
中学校に入学した直後から、
全員が寸暇を惜しんで死ぬほど勉強をしているような場所でした。
塾の授業とは比較にならないくらいハイスピードで勉強は進んでいき
私はあっという間に落ちこぼれていきます。
落ちこぼれにとって
”勉強”という名がつくものは苦痛でしかなく、
授業中の先生の言葉は右から左へと流れていくことが普通でした。
むしろ、自分の周りに見えない要塞を築いていて、
授業中の全てを自分から跳ね返していた、くらいのイメージです。
そうなってしまったら、もう何の知識も、理解も1ミリも入ってこないんですよね。
容量の小さすぎるパソコンが、容量を遥かに超えたタスク処理を求められて、落ちてしまう。そもそもそのソフトの立ち上げさえ無理、っていう状態。
それが当時の私でした。
正真正銘の勉強嫌いの誕生と
強度の勉強アレルギーを発症し、
自分の脳内をシャットダウンしてしまいました。
や め て ー !!
そんな時
一人の友達から
「美術大学に進学したいから、そのための美術予備校に行っている」
と聞きます。
進学校の中にいると
高校卒業後の道は大学進学の一択しかない
と思っていましたが
進学するにしても勉強しなくてもいい道があるんだ!
と知り、まさに目から鱗。
しかも、絵を描いたり、何かを作ったりする事が
小さい頃から好きでしたので
当時の私にはその情報が
「暗闇にさす一筋の希望の光」に見えたのです。
すぐに両親にゴネまくって懇願し
何とかその美術予備校に通いはじめることができました。
そこは当時のアス子にとって、パラダイスだった!
パワフルアス子の爆誕!
そこからは水を得た魚のように世界がひろがりました。
なんせ、大嫌いな勉強をしなくて良くて、絵を描くことが公然と受験勉強にる!!
大袈裟ではなくそれはパラダイスに思えました。
努力とは言っても、
それは与えられたものを与られるスピードで理解したり
丸暗記するだけの
辛くて苦しい学校や塾での勉強とは真逆で
楽しくて仕方ありませんでした。
なんて楽しいんだろう!
そして、自分なりに満足がいくものが出来上がった時は、
ドーパミンがドバーと出て、
なんとも言えない幸福感が込み上げてきます。
もちろんゼロから新しい何かを生み出すのには
それなりの大変さや苦しさもついてくるのですが
この達成感と快感を知ってしまった後には
そんな大変ささえも心地よく感じてどんどん前向きに努力ができる自分がいました。
学校や塾での勉強に対しては拒絶反応が出るのに対して、
美術予備校の先生からのアドバイスは
まるで命の水。
私の中の乾いたスポンジは、
全てをグングン吸収していくのでした。
パワフルアス子の爆誕の頃のお話でした。
アス子、上京。美術大学でのこと、大学卒業後のこと。
美術大学は正真正銘のパラダイスだった!
その後は希望の東京の美術大学の絵画科に進学し
最高の四年間を過ごしました。
大学も美術予備校と同じく
同じ感覚を共有できる友人や先生に囲まれて
自由に製作できる環境は、
正真正銘のパラダイスでした。
卒業後も自由気ままに仕事と製作を謳歌
当時は就職氷河期でしたので
「就活」なんて言葉は、自由すぎる美術大学の絵画科ではほとんど耳にすることもなく
卒業。
卒業後は何となく行き当たりばったりで
工芸作家の元で働いたり
首都圏で自分の得意を活かして
舞台やらテレビのセットとか背景を作ったり
衣装や小道具を手がけたり
某(ネズミ)ランドのエイジング塗装や
店舗の壁画製作などをしたりなど
得意な製作関係の仕事を転々とする傍、
趣味で絵を描いたり、彫刻をしたりなど創作活動を謳歌しているうちに
結婚、出産。
アス子、出産と地方へUターン
その後、出産を期に地方の地元に戻ります。
あれよあれよという間に
四児の母となり、家事と育児に忙しい日々でした‥。
子育てをしながら現実を目の当たりにる
首都圏に住んでいた当時は
筆やら、トンカチとかノコギリとか、そういう「道具」で
自分の手で実際に何かを作り出す製作系の仕事がたくさんあったのですが
地方にはそういう仕事は全くないんです…。
仕事がない…
製作関連の仕事は「達成感という幸福感を満たせる唯一の道」
だと思っていましたし
これまでそれなりに情熱を注いで頑張ってきたという自負や
誰にも負けないという自信もありました。
そこで、自分のスキルを活かした仕事を探します。
しかし、四人の子育てをしながら
地方の中山間地から通える場所に
首都圏と同じような仕事はもとより
自分のスキルを活かせる仕事は皆無なのです…。
アス子、中学・高校の美術の教員となる
仕方なく、大学在学中に取った美術教諭の免許を活かして
中学・高校の美術の非常勤講師の職につきます。
目を瞑ってでもできるくらいお茶のこさいさいな上に
とても楽しかったです。
そして中学、高校は
かつて自分の脳内をシャットダウンしてしまった場所でしたが
私は美術を通して自己を肯定し
表現することの楽しさと達成感を
誰よりも体感してきたという自信を持っていたので
出会った生徒たちにそれを伝えることに使命感を感じていました。
当時を振り返って
美術を通して生徒たちにそれらを伝えることができたことは
私にとってもとても幸せな時間でしたし
彼らの人生にとっても、何か大切なことの一つを伝えることができたのではないかな?
と思っています。
ありがたいことに
「先生のおかげで美術が大好きになった!」
と言ってくれる生徒達がたくさんいました。
教員時代の出来事の一つ一つは
私にとって、とても大切な思い出です。
しかし、そんな充実した教員生活の中でも、微かに芽生えてきた違和感がありました…。
教員生活の中で芽生えた違和感
美術という教科は「絵画」「彫刻」「工芸」「デザイン」の4つに分類されます。
私は「絵画」「彫刻」「工芸」に関しては、専門的に学んだ経験も
仕事として請けた経験もあるのですが
「デザイン」に関しては、知識も経験も皆無でした。
その頃、あるプロジェクトのチラシと冊子を知人から依頼されて
編集する機会がありました。
当時の私は自分でPhotoshopとかIllustratorといった画像編集ソフトを扱うことがまるでできなっかったので
デザイナーにデザイン編集を外注せざるを得ない状況でした。
デザイナーさんに事細かにイメージを伝えて、デザイン編集をお願いしていたのですが
しばらくして出来上がってきたデザインのクオリティーの低さに愕然としたのです。
自分でソフトを扱うことができれば
もっと思い通りのものが作れるのに!
そして、世の中で最も需要があり
職業として一般的なのは「絵画」でも「彫刻」でも「工芸」でもなく「デザイン」なのに
それを自分が全くできないという悔しさともどかしさから
と強く思うようになりました。
また地方の中山間地在住で、子育て真っ最中の自分でも
PCでデザインができるようになれば、
在宅で仕事ができる可能性も広がるのではないか!?
と考えました。
アス子、デザイナーに転職
パワフルアス子、再降臨
そこでパワフルアス子が再降臨します(笑)
まあまあ努力して
デザインのスキルを身につけました!
その後は、持ち前の製作への情熱と意欲と
教員時代に培われた指導力がかわれて
フルリモートのWEBコンサルの会社の社員となり
クリエイティブディレクターなんていう(響きは)かっこいいポストを任せてもらったりしました。
業務の中で動画の撮影、編集やモーショングラフィックス、なども覚えました。
「好きこそものの上手なれ」です。
(多分、これをここまで読んでくれているアナタもそうなんじゃないかなってアス子は思います。)
当時は製作以外にも
クリエイターとして、社内外の教育や
クリエイティブに対してコンサルなどもさせていただく機会にも恵まれ
それなりに結果も出せる人材であったのではないかと自負しています。
が…時はコロナ禍。
フルリモートで家に閉じこもって、PC相手にひたすらパチパチしていたそんな中、
私の人生の中で一番の暗黒期が予告なしに突然訪れます…。
アス子、人生最大にして最悪の暗黒期
それは夫の不倫発覚と
母が突然病気で倒れる
という想定外でびっくらぽんで、奈落の底に突然突き落とされるような出来事でした。
当時の私は、ネガティブ感情が群発地震のように朝も夜も休みなく続いて…
かつて大地震からの津波で社会生活が停止したみたく
何もかも手につかず…。
感情が火山のように爆発したり、
はたまた氷河期が訪れたり…。
まあまあ精神的に病んだわけです。
そして、フルリモートのクリエイターとしての仕事は手につかず、退職しましたです。
退職してフリーランサーとなるも‥
退職後はフリーランスとして
ぼちぼち知り合いのつてなどで仕事をいただいたりなど
しばらくはしていましたが、
一人で頑張る気力もわかず…。
撮影〜編集までやっても
1本1万5千円にしかならない案件の締め切りに日々追われて
PCをひたすらパチパチ。
頑張れない…
家に閉じこもって
お金もなく
家族以外と話さない毎日から脱出したいと
就活を初めましたです。
パワフルアス子は跡形もなく
しぼんで飛べない風船のような、しょぼしょぼアス子でした。
そして…思わず、求人情報の中の福祉関係という畑違いの職種がキラキラして見えて…。
アス子、福祉関係の会社員に
50代を目前に、会社員の安定的な収入にも目が眩み
思わず、再就職(なんて無計画!)
してしまって…。
現在、会社員〜。
たまーに副業で頼まれたデザインの仕事をちょこっとしている、っていう
稼げなさ過ぎるクリエイターの成れの果てのアス子です。
チーン。
自分、へっぽこすぎるだろ…
ばか、ばか、自分
バカすぎて可哀想な自分、よしよし
本題!
そんでもって、ここからが本題です。
そんなアス子が今
なぜこんなブログを書き始めようと思ったか?
そこを書かせてください!!!!
私、弱い立場の人のお手伝いをする今のお仕事(福祉関係)では
物足りないの〜。
(お金もちょっと物足りないの…ウソ、正直全然足りないのw)
私、やっぱり製作することの達成感に飢えているのです〜。
違う畑にきて一年
物足りなさをキョーレツに感じてるぅうううう。。。
いやね、世の中ではとっても大切で必要とされるお仕事なんです
それはわかっているんです。
でも
私には
つまらんすぎるぅううう。
全然稼げないクリエイター 日本代表だけど
ゼロから何かを作る仕事が好きなの〜!!
この人はすごい人に違いないと前から気になっていた
青木創士さんという人のウェブマーケのスクールの募集があったわけですよ。
私、自分をマーケティングできるんじゃね?
直感ビビビ
市場価値を高めたら
私、今からでも
稼げないクリエイター日本代表から脱出できるんじゃね?
直感ビビビ(どんだけ!?)
そのビビビの直感のまま
スクールの説明会に参加したらば
なんっっとなんっと
「50代は受講できません」
というではないか!?
(50代NGの理由は成長吸収のスピードに限界があるからとのこと)
えーアス子は49歳なんですけど!
今を逃したら来年の募集時にはもう50歳になってしまい
受講できないではないか!?
年齢的にも、50代でクリエイターとして再就職希望
とか痛すぎる
イテテテ。
そもそも無理ゲー。
とめちゃめちゃ運命と緊急性を感じてしまい、
まあまあ高額でしたけど
アス子は清水の舞台から飛び降りて
受講を決めましたです。
最新にアップデートしようと決めたんです。
そしてね
スクールの最初の課題がワードプレスでブログを書くこと。
自分のゼロからの成長の過程を書こうとな。
具体的な数字の目標を立てると良いとな。
そうやって立てたアス子の目標!
月収50万円!!
月収50万円を安定して稼ぐことができたら
会社をやめて
今度こそ稼げないクリエイターの着ぐるみは脱ぎ捨てて
稼げるクリエイターとして独立できるんじゃないかと思うんです。
今度こそ、自分の市場価値をグーンと高めて
稼げるクリエイターになって、
私らしく自由でクリエイティブな働き方を手にいれる!
「勉強」だって!!
勉強だってーーーー!!!
頑張るんだー!!
えいえいおー!!
は〜!?
何言ってんの?
もういい加減にせい、大人しく会社員やってろ
な年齢だけど
所詮、稼げないクリエイターなんだから
失敗しても死なない死なない(笑)
ワードプレスでサイトが作れるようになっただけでも
儲けもんじゃないか!?
(これについてもまたどこかで是非書きたいけど、ウェブデザイナーなのにワードプレスさえ構築できなかったの、アタシ…)
人と比べなーい!
私は私なりに頑張っているから花丸◉
そんな、ぜんぜん稼げていないけれど
これからじゃんじゃか稼ぎたいクリエイター日本代表・アス子の
目標達成までの道のりを